
■ただの「楽しい」ではない、まちの歴史
8月の夜空を彩る花火と、人々の熱気。
松前町の夏の風物詩となった「まさき町夏祭り」です。
実はこのお祭り、ただの「楽しいイベント」ではありません。
そこには、何十年、何百年という時間をかけて先人たちが紡いできた、泥臭くも力強い「まちの歴史」が隠されていました。
現在のような町全体の夏祭り(当時の名称は「松前夏祭り」)が産声を上げたのは、今から40年以上前の昭和57年(1982年)のこと。
当時は松前公園ではなく、義農公園で開催されていました。笹飾りのコンテストや、小学生のトランペット鼓隊のパレード、気合十分の男女による綱引きなど、時代とともに多様な催しが行われてきたのです。

■風呂の焚き物から奇跡の復活を遂げた「はんぎり」
松前町の夏祭りで欠かせないメインイベントといえば、小学生から大人までが「はんぎり」と呼ばれる桶に乗り、体の上下運動だけで海上を漕ぎ進む「はんぎり競漕」です。
上下運動だけで漕ぐのは全国的にも珍しい漕ぎ方ですが、この「はんぎり」、実は江戸時代から松前町の地引網漁業で使われていた漁師たちの相棒でした。
獲れた魚を沖の船まで運ぶための、大切な仕事道具だったのです。
文禄4年(1595年)、松前城主の加藤嘉明がこのはんぎりに乗る船子の姿を見て、「もう一度見たい」と言って競漕させたという記録も残っているほどです。
しかし、時代の波には逆らえません。
昭和35年頃に船引網漁業に代わると、用途を失ったはんぎりは、なんと「風呂の焚き物」などにされてしまったのです。 かつて海で泥臭く活躍した相棒が、燃やされて消えていく。
けれど、はんぎりの命はそこでは終わりませんでした。
昭和46年、本村地区の蛭子神社の行事で奇跡の復活を遂げます。
漁師たちの道具は形を変え、他にはない松前の魅力を発信する「はんぎり競漕」へと進化し、町外の人々をも熱狂させています。

■町民が自らの手で紡いだ言葉「まさき音頭」
もう一つの笑顔の渦が、夕方の松前公園を彩る「まさき音頭」です。
昭和60年、松前町町制施行30周年という節目の年に、この音頭は生まれました。
「町の歴史や文化が分かり、いつまでも心に残る歌をみんなでつくりたい」
そんな熱い思いから歌詞が公募され、町民の手によって紡ぎ出されたのです。
歌詞には「義農祭」「お袖姫」「夫婦橋」「ひまわり」といった、松前の人なら誰もが分かる言葉がちりばめられています。
開始当初は10連にも満たなかったといいますが、今や子どもから大人、そして町外の人々も一緒になって笑顔で踊る大きな輪になりました。
「老いも若きも 太鼓に合わせ まさき音頭で町づくり」
まさに、町民の皆さんが作った歌詞の通り、心が一つになる瞬間です。

■夜空へ浮かぶ「大間の灯籠」と祈り
そして現在の夏祭り、グランドフィナーレを飾るのは夜空へと放たれる「スカイランタン」です。
スカイランタンの起用には、
ただ綺麗だからという理由だけではない、
松前町ならではの特別な意味が込められています。
松前町の大間地区には、毎年8月25日に行われる「灯籠流し」という伝統行事があります。
老人クラブの皆さんが作った手作りの灯籠が用いられ、地域の誇りとして後世へ受け継ごうと大切に守られている行事です。
私たちはこの「大間の灯籠流し」を、空を舞台に表現したいと考えました。
運営も来場者も、みんなで一緒にランタンを空へ放ち、
「想いを繋げる」という感動体験を共有すること。
そして、全員が一つになるその灯の温かさこそが、
松前町というまちの本当の姿なのだと伝えたかったからです。
また、スカイランタンがはじまった令和6年には、能登半島地震という悲しい出来事がありました。
夜空へゆっくりと昇っていく無数の温かい光には、被災地の復興への強い祈りも込められています。
■「楽しみたい」という思いが繋ぐバトン
昭和55年から始まったさまざまな催しに共通しているのは、「みんなで祭りを楽しみたい」というシンプルな、けれど力強い思いです。
誰かが楽しんだり頑張ったりしている姿を見て、「自分もやりたい」と参加し始める。
その繰り返しが、気付かないうちに伝統のバトンを引き継ぎ、
「松前町にしかない、誇れるもの」を築き上げているのです。
ただ「楽しむ」という要素だけではない、夏祭りが紡いできたもの。
そこには、かつての漁師たちの息遣いや、町を愛する人々の言葉、
そして決して絶やしてはならない「人のつながり」が確かに存在しています。
今年の夏祭り。
あなたは、誰と、どんな想いを繋ぎますか?




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